ほっと一言
所長の細谷有子のブログです。
- ほっと一言
- 2025年2月20日
「芝浜」と「これからの芝浜」
先日久し振りに「落語」を聞きに行きました。
懐かしい元「渋谷公会堂」での
【さだまさし・立川談春二人会 立川談春四十周年記念】
演目は「芝浜」。
談春さんの師匠である立川談志の十八番であり、中学生の頃に聞いて
入門を決意した大切な演目であったようです。
ところが、今回の演目は 上下に分かれての「これからの芝浜」。
少年に人生を賭けようと思わせた「談志の芝浜」の内容を談春は
今頃になって変えたのです。
前半で 「やめた。また夢になるといけない」という決まり文句に万雷
の拍手をもらい、終演かと思ったら・・・・
後半「新しい芝浜」を話の途中から演じ直しました。
その時の動機を談春さんは「文芸春秋の巻頭随筆」で下記のように述べ
ています。
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・・それだけ己にとっても大切な芝浜をなぜ変えようと思ったのか。
その動機は将来に対する恐怖に近いような不安でした。
昨年、「将来結婚をしたいか、その必要性を感じるか」というアンケート
を10代・20代の男女にしたところ30%の若者たちが「結婚はしたくない。
必要性も感じない」と答えた、という記事を読みました。
知人の20歳になるお嬢さんは「男なんて面倒なだけだからいらない」と
両親の前で宣言したのだと。母親が、独りだと淋しいと思う時がくる
わよ、と言うと「だから今勉強して、良い会社に入ってお金を貯めて
家を買って、猫を飼うの」と言われたとか。
「談志さんの芝浜を初めて聞きました。素晴らしいと思いましたが
かわいい女房とは結局は縋る女として演じられているのですね」。
これは40代女性の感想です。
ショックでした。私が感動した芝浜をそのまま伝えても相手の心に
届かないという未来図がぼんやりとながら透けて見えた気がしたから
です。
物をいわない猫との暮らしの方が自分を保つことができると思い
込んでいる20代に届く芝浜とはどういう形のものなのか。それは
時代だから仕方がないし、その危機を数多く乗り越えてきたからこそ
現在まで落語は滅びていないのだと理解してはいますが狼狽えるほど
ショックを受けている私の不安の根っこはなんなのか。
「自分も老いてゆくのだ」とはじめて意識せざるを得ない現実に
直面したからだと思います。己れの人生の歴史を否定される時が
もうすぐ来るのだ。共通の価値観も言語も持てない世代に向き合わ
なければならない時代がやがて来るのです。なにせ相手は猫でいい
と思っているのですから。若者たちもツイッターひとつ使いこなせ
ない50代を理解しようがないでしょう。
彼ら彼女らもわれわれ世代がわからないが、わからないことを伝える
言葉も、わかりたいと思う欲求も薄い、と思うのは年長者から
教わらない限り落語家としてひとつも成長できないという特殊な
環境で育ったからでしょうか。 ・・・・
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「あたらしい芝浜」・・・とても心にしみる良い話しでしたが、
「自分も老いていく」という感覚が動機だったと聞いて考え込んで
しまいました。
変えていかなくてはならないものと、変えずに伝えていきたいもの
変えてはいけないもの・・・急激に世の中が変わっていく昨今
何を残し、何を伝えていくのか、難しい判断ですね。
でも日本古来の美しいものは大切にしていきたい。
若い人たちにも、美しい言葉・景色・心情などを伝え続けなければ
日本はますます「日本」ではなくなるような気がします。
変えていくなら、少しずつ・少しずつ・少しずつ変えていきませんか?